「なぜ人間は動物を殺せて、時には人間も殺せるのか」科学的に説明ができるという話

先日、メンタリストDaiGoさんが、良書過ぎて帯を書いてしまった本、
『MIND OVER MONEY―――193の心理研究でわかったお金に支配されない13の真実』
を読みました。この本自体は、「”193”ものお金に関する心理研究をもとに、”人間がいかにお金”に支配されているのか」を浮き彫りにするための本なのですが、
今日は、この193の心理研究のなかで、
- 人間はなぜ動物を殺せるのか
- 人間はなぜ時には人間を殺せるのか
について、科学的な答えを得ることができましたので、それについて考察します。
プリンストン大学のとある研究ーー『mind over money』より
『mind over money』の中で、プリンストン大学が行った研究で、「人間は、『お金持ち』と『貧しい人』をみると、どのような反応をするのか」を調べた研究が紹介されていました。
やり方としては、
- 「お金持ち」「貧しい人」の写真を、それぞれ被験者に見せる
- 「お金持ち」「貧しい人」をみたとき、人間脳はどのように反応したかを測定する
といういたってシンプルな実験なのですが、その結果が個人的に驚きだったのです。
なんでも、その実験では、被験者が、「お金持ち」の写真をみたときは「脳の前頭前皮質内側部が活性化(=「ここに同じ種がいる」とメッセージを発出する部分)」していたのに対し、「貧しい人」の写真をみたときは、前頭前皮質内側部の反応はなく、代わりに、脳の「嫌悪」に関わる領域が活性化していたそうです。
要するに、
- 人間は、無意識に「お金持ち=人間」「貧しい人=人間ではない&嫌悪すら覚える」と反応すること
- そして、人間の脳には、対象を「人間か/それ以外か」を分別する仕組みがあること
がわかったのです。
人間が人間を殺せる理由
『mind over money』の著者は、この研究を裏付ける具体例として、「ホロコースト」の話をあげていました。なぜ同じ「人間」なのに、虐殺ができたのかーー。当時のドイツ人は、ユダヤ人を「人間」とは思っていなかった。だから、殺すことになんの苦しみも疑問もなかったというわけです。脳科学的に、「虐殺の仕組み」が解明された瞬間でした。
ちなみに、私が思い出したのは、『進撃の巨人』の「エルディア人」と「マーレ人」。もっというなら、グリシャ・イェーガーとグロス曹長のこのやりとりです。↓
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エルディア人を次々と巨人化させ楽園送りにすることを楽しむグロス曹長に対して・・
- グリシャ:あんたは何で……こんなことをするんだ?
- グロス曹長:何で? 何でって…そりゃ 面白い…からだろ?

『進撃の巨人』をなんとなく読んでいると、「グロス曹長クズすぎw」と読み流してしまいそうなシーンですが、上記の心理研究を踏まえると、グロス曹長の反応は「人間」として至極真っ当であるということがわかります。
グロス曹長とグリシャのやりとりは、そもそもの前提が違うのです。グリシャは「エルディア人=人間」という前提で会話をしています。だから、その人間に対してひどい行いができるグロス曹長に対して、「なんで(人間に対して)こんなことをするんだ?」と疑問を持ちます。人間に対して残虐非道な行いができる、その心理が理解できなかったゆえの疑問でしょう。
では、グロス曹長は、人間の心を持たない悪魔だったのでしょうか…? しかし、次のセリフを見る限り決してそんなことはないということがわかります。
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- グロス曹長:お前の妹を息子達の犬に食わせたのも教育だ。おかげで息子達は立派に育ったよ。
- グリシャ:…心は痛まないのか?
- グロス曹長:…まぁ言いたいことはわかる。もし息子たちが同じ目に遭ったらと思うと胸が締め付けられる。その子が何か悪いことをしたわけでもなかったのにな…
- グリシャ:あぁ、妹は飛行船が見たかっただけなんだ。あれに乗ってどこか遠くに行く夢を見たかったんだ。
- グロス曹長:…かわいそうに。エルディア人でさえなければな……。

この場面から察するに、グロス曹長は人の痛みに共感できる能力を有していることがわかります。自分の息子たちがひどい目に合うのは胸が締め付けられるのですから。本当に極悪非道の殺人鬼であるならば、このようなセリフはでてこないでしょう。
では、なぜ人並みの「人間性」をもつグロス曹長は、エルディア人を次々と巨人にさせることは苦しまないのか? それは、グロス曹長が「エルディア人のことを人間とは認識していない」からです。
だから、グリシャとグロス曹長の会話は、すごく嚙み合わない印象を受けます。前提が違うのですから会話がかみ合うはずもありません。グリシャは「エルディア人=人間である」という前提であるのに対し、グロス曹長は「エルディア人=人間ではない」という前提で会話しているのですから。この前提をすり合わせないと彼らは理解しあうことができないでしょう。
人間が動物を殺せる理由
プリンストン大学の研究結果から、「人間はなぜ動物を殺せるのか」についても、理解ができます。「動物=人間ではない」という認識をもっているため、殺しても心が痛まないという理屈です。
ただ昨今、「動物」に対する人間の認識が変わりつつあり、認識の差も大きくなりつつあります。
①ペット文化の普及
その代表格がペットの文化です。犬や猫などペットとして認識される動物を殺すことは、ペット文化がある人々にとっては、一般的には心が痛む行為です。これは「ペット=人間」という認識をしているからです。
ただ、ペットを買っている人でも、鳥・牛・魚・豚などの肉は食べますし、それに心が痛むことはありません。それ、「鳥・牛・魚・豚」を「人間」とは認識していないからです。
②ベジタリアン・ヴィーガンの登場
しかし、昨今、「鳥・牛・魚・豚」などあらゆる動物を「人間」と認識する人たちが増えています。それが「ベジタリアン」「ヴィーガン」です。
- ベジタリアン:肉や魚を食べない
- ヴィーガン:肉や魚にプラスして、卵・乳製品・はちみつも口にしない
これまでの話を図にするとこんな感じでしょうか。↓

つまり、何を「人間」として扱うのかが異なりはじめているのです。
「ベジタリアン・ヴィーガン」などの人からみると、「鳥・牛・魚・豚」を食べる人々は進撃の巨人のグロス曹長みたいにみえるでしょうね。思わずグリシャみたいに、

と聞いてしまうかもしれません。しかし、「鳥・牛・魚・豚」を食べる人々からすると、「何言ってんだ?」ってなるでしょう。人間じゃないものを殺して食べてなにがいけないんでしょうか。
「動物」に関する認識の差が大きくなり始めた理由
「動物」に関する認識の差が大きくなり始めたのは、個人的には、社会が発展した証拠でもあるのかなと思っています。
自分が生きるのに必死なとき、他者を気遣う余裕はありません。原始時代など明日の食料の確保に終われている時代で、「動物を食べない」という選択はあり得ません。食べなきゃ自分が死ぬからです。そんな状況では、他者の生命を気遣っている余裕はありません。
対して、現代は農業・科学技術など、社会が発展したことで、動物以外の食べ物が増えましたし、食料が安定供給できるようになりました。
そうなると、
- 無理に他の生命を奪わなくても、生きていけるではないか
- 他の生命も人間同様の大事な命なのだから、極力奪わないようにしよう
と考える人々が増えても不思議ではありません。人間は社会的な動物ですから、他者尊重の意識が根底にはあるからです。食べなくてもいいなら食べたくない。(東京グールの金木くんも同じですね)
おわりに
「動物を食べざるを得なかった時代」から、「動物を食べなくてもいい時代」になりました。こうなると、これからの時代、なにを人間とみなすか、その認識の差異はどんどん広がっていくでしょう。もしかしたら、植物さえも人間という認識をもつ人々もでてくるかもしれません。
- ペットは人間だけど、食用動物は人間じゃない?
- 動物は人間だけど、昆虫は人間じゃない?
- 動物は人間だけど、植物は人間じゃない?
また、動物に限らず、人間の中でも、どのような人は人間でどのような人は人間じゃないのか、無意識に命を選別していませんか?
- 金持ちは人間だけど、ホームレスは人間じゃない?
- 真面目に生きている人は人間だけど、犯罪を犯した人は人間じゃない?
- 人殺しは人間じゃないから人権をはく奪すべき?
「何を人間として扱うのか」、自分の中で認識を明確にしておく必要があるような気がしています。
あなたは何を人間と認識していますか?
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