月火水木金土日についての考察

雑記

月火水木金土日

企業で働くものの時間の流れは、1週間という単位で区切られている。

もっと大きい単位でいえば、1か月・1年などもある。

しかし、我々企業で働く奴隷にとっては、やはり「一週間」という単位が一番身近であろう。

サラリーマンにとって、労働生活は1週間単位で考えることが多いからだ。

「今週の土日はなにしようか」とか「花金(花の金曜日)」とかはまさに1週間単位で物事を考えている証拠である。

また、「サザエさん症候群」なるものが存在するのも、この1週間という時間の単位を強く意識しているが故であって、たとえばアフリカなどでは「サザエさん症候群」は存在しないはずだ。(そもそもアフリカでサザエさんはやっていない)

今回は、そんな1週間の単位を構成している「月火水木金土日」について考察をしてみたい。

月曜日

もし嫌いな曜日ランキングなるものが世の中に存在したら、ダントツで1位を取るであろう月曜日。

月曜日が好きな人っているのだろうか?

先程話にあげたサザエさん症候群も、月曜日があるせいで、引き起こされる病気だ。

カレンダー通り生きるサラリーマンにとって、月曜日は仕事がはじまる日。

「仕事がはじまる日=休息が終わる日」なのだから、嫌われて当然だ。私も大嫌いだ。

「仕事」を楽しんでいる人・家に居場所がない人以外は、誰も待ち望んでいない。

「月曜日が消滅したら…」

どれほどの人間がこういう思いを抱きながら、満員電車という奴隷船に乗っていることだろう。

しかし、こんな思いは、幻想にすぎない。

なぜなら、仮に月曜日が消滅したとしても、「仕事がはじまる日」は消滅しないからだ。

仮に「月曜日」が消滅したとしても、第2第3の月曜日がやってくる。それは月曜日という名前ではないかもしれない。もしかしたら、火曜日はその役割を担っているかもしれない。

ともかく、月曜日が消滅したところで、我々に「ああ、今日も仕事か…」とのしかかってくる憂鬱感は消えないのである。

なので、「月曜日消滅しろ」というのは間違った考えで、正しくは「仕事がはじまる日消滅しろ」というのが正しい文句だろう。

我々は、「月曜日」ではなく、「仕事がはじまる日」が嫌なのだ。現象を見て、本質をとらえよう。

◆◆◆◆◆

こんな月曜日であるが、こいつはある切り札を使えば、オセロのコマのように、真っ白になる。

真っ黒だった月曜日は、真っ白な月曜日になるのだ。

その切り札とは何か?

それは、「有給休暇」である。

月曜日に有給休暇をとる効果はすさまじくデカい。この点は、火曜日・水曜日・木曜日は太刀打ちできないだろう。(唯一勝てる可能性があるのは、金曜日)

この、切り札をもちいれば、「くたばれ月曜日」が「ありがとう月曜日」になるのである。

土日とくっつけて」「3連休になる」というのは、非常に快いものである。

なにせ、「月曜日に出社している奴隷」に対して、優越感を感じるのである。

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ぜろ

奴隷おつ~wwwぼくちん、今日休みだもんね~~ww(はなほじほじ)

本当は、こんなことを思ったって、通常の「月曜日」が持つ憂鬱感が「火曜日」にくるだけなのだが、とにかく「皆が働いている中、自分が休める」というのは、すごく気持ちのいいものなのである。(なんて心が貧しいのだろうというつっこみはいらない。そんなの自分でわかってます✋)

つまり、まとめると、「月曜日」は、基本的には「憂鬱」であり糞であるのは、覆しようがない。ただ、「有給休暇」というカードをきることによって、天使にもなり得る可能性を秘めている。

高低差ありすぎて、耳キーンとなる曜日なのである。

火曜日

火曜日は、中途半端だ。

火曜日の朝は、「まだ火曜日か」という思いにかられる。月曜日に本当は休みたいのに、しかたなく無理やりエンジンをふかして働いた余波が火曜日の朝に来る。

それが「まだ火曜日か」である。

「今週はあと何日あるんだ?」「あと4日も働くのかよ…」

火曜日は、そんな思いを抱かせる。

 

正直、火曜日のメリットは何一つ感じない。月曜日はまだ有給休暇を使うことによって天使にもなりえたが、火曜日はそうでもない。

かりに、「土日休→月曜出勤→火曜有休→水~金出勤」という労働をした場合、火曜日に休んで思うことはこうだ。

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ぜろ

どうせなら月曜日か金曜日に休みをくっつければよかった

つまり、火曜日の有休は、有給休暇満足度を著しく押し下げる。

月曜日の有休と火曜日の有休では、「一日休み」という点では同じなのだが、休みの「質」が異なるのである。

そういう意味で、火曜日というのは、ほんとに意外と救いようがない。

野球のことはよくわからないがあえて野球に例えてみると、月曜日は「ヒットは打たないので打率は低いがたまに出すとホームランを打つ、“調子極端”“な選手」

一方火曜日は「打率1~2割台でたまに打ったとしてもシングルヒットしか打たない選手」

火曜日はとにもかくにも、「なんかパッとしない」。「高卒で地元にそのまま公務員に就職する奴」っていう感じだ。

水曜日

水曜日は、労働者によって意見が割れる曜日だと思っている。

ポジティブな奴は、「もう週の真ん中か~、よしあと二日」というだろう。(個人的に、正直こんなやつが存在するとは思わなかったのだが、実際に実物を確認したときは驚いた)

ネガティブな奴は、「はぁ~まだ週の真ん中か~、あと二日もやってられんぞ」となるだろう。

私はもちろん後者だ。

「1週間の真ん中だぞ!」「今ここが峠だぞ!」と、教えてくれるのが「水曜日」なのであるが、しかし「それを教えられても…」という思いもある。

とはいえ、少し一区切り感を感じないでもない。ゴールが少しだけ見えたような見えないような。そんな感覚をもたらすのが水曜日だ。

水曜日の有休は、火曜日よりは全然いい。週の真ん中の小休止。マラソンでいうと、水分補給所的な働きをしてくれる。

一説によると、「ディズニーランドは水曜日はねらい目」らしいが、そもそも「一日しか休みがない」のに、ディズニーランドなんかに行く体力と気力とおかねは奴隷にはない。

水曜日に有休をとるのは、やはり「箸休め」だろう。外出したとしても、せいぜい映画を見る、くらいだ。(レディースデーで安いし)

基本的には、「家でのんびり過ごす」。これが水曜日の有休スタイルである。

木曜日

木曜日は「非常に惜しい」。

木曜日になると、水曜日を終え峠を越えた感がある。しかし、気分としては非常に微妙だ。

「はぁ~あと金曜日だけ働けば休みだ~」と思うのだが、疲れがピークに達しているときは「あと一日」が待ち遠しく非常にイライラさせられる。

「なんであと1日もあんだよ!!!!」とキレたくなる。それが木曜日である。

ただしここまでくると、仕事への身の入り方がだんだんと適当になる。もうすぐ「土曜日」がくるからである。

「あとちょっとで休日だし」と休みに向けて、調整に入る曜日でもあるから、休みを意識できる数少ない曜日であるという点では、貴重であろう。

木曜日の有給休暇は、個人的にはとりたくない。なぜなら、

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ぜろ

木曜日にとるくらいなら、金曜日にとりたい

もしくは

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ぜろ

木曜日にとるなら、金曜日もとりたい

そんな思いが強くこみあげてくるからだ。

なので、木曜日は、有休をとるにしても微妙だし、「あと一日ある」という思いを抱かせる点でも微妙だ。

ただ、週の終わりである「金曜日」を意識させてくれる点では、同じ中途半端な曜日である「火曜日」などよりは全然いい。

金曜日

金曜日になれば、我々の勝利だ。捧げられた(労働者という奴隷の)命を糧に咲く尊き悲願のsiegだ。

月曜日~木曜日にはあった「また明日も働くのか…」という気持ちが金曜日には一切ないのだ。

「明日は?」と聞かれれば、「おやちゅみ★」である。

アラームに起こされて、薄暗い中家を飛び出し、満員電車に乗る必要なんかないのである。答えのない毎日やただ過ぎていく時間は明日はもうない。

寝たい時に寝て、起きたい時に起き、野山にまじりて竹をとりつつ万のことをしまくりけりなのである。

悠々自適に過ごすことも可能な「土曜日」。そんな「土曜日」が俺を待っている…!

「明日」は「出勤日」ではない。どうだ見たか!くそ経営者ども!俺は明日は絶対に働かんぞっ!!!

金曜日は、そういった意味でもはやこちらが勝ったも同然の曜日である。

 

となれば、必然と仕事も適当になる。(もちろん、月曜日から火曜日も適当に行っているが。)

金曜日の適当さといったら、形容できない。

意味なくエクセルを閉じたり、開いたり。

非常階段でストレッチしたりスクワットしたり。

ネットサーフィンをしつつ、上司が席の後ろを通りそうなら、急いでメーラーを立ち上げて、仕事をしているふりをする。そのために、ショートカットキーを神速で押せる練習もした。(「Alt + tabキー」を押すと一個前に起動していたファイルに移るのでおすすめだ。0.3秒で次のウィンドウに切り替えることができる

なんなら、こんな糞みたいなブログ記事を書いていたりもする。(良い子はマネしてはいけない。どうやら労働者という奴隷は「誠実労働義務」を法律で負わされているらしいのだが、そんなことは知ったことではない)

「金曜日」は、「土曜日」のことが待ち遠しく、仕事どころではないのである。

それはまるで付き合いたての恋人に会うのを待ち焦がれているかのような、一種の焦燥感。和歌をよみたい衝動をおさえきれない。

 来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに

    

焼くや 藻塩(もしほ)の 身もこがれつつ

 

権中納言定家(97番) 『新勅撰集』巻13・恋3・849

「土曜日」と早く会いたくて身もこがれつつあるのである。なんなら、もう身などとうに焦げているかもしれない。

土曜日

Welcome  to  土曜日

俺はお前をずっと待っていた。お前と一緒にいるためなら俺はほかの曜日なんか捨ててもいい。だから俺とずっと一緒にいてくれ。俺はお前だけを愛している。

土曜日を口説きおとしてずっと自分の手元に置いておきたい気持ちに駆られる人は、非常に多いだろう。

しかし、土曜日はそんな熱い思いなどどこ吹く風なのである。24時間たつと、必ずいなくなってしまうのだ。その時の喪失感といったら、言葉に表現できない。

しかし、そこで我々土曜日の信者たちはこう思う。

「限りある土曜日との時間、大切に過ごそう…」

土曜日といられる時間は、客観的に計測するとその他の曜日と同じ「24時間」だ。

しかし、主観的な体感時間としては、ほかの曜日とは比べ物にならない。土曜日は、時が圧縮されてしまうのだ。結果的に、土曜日といられたと感じられる時間は「24時間」もない。

えっ?もう終わり?待って。私まだ土曜日に何も伝えてないの。あのね、土曜日?私まだまだあなたと一緒にいて、いろんなところにいってたくさん笑いあいたいの。あのとき無駄に寝て過ごしてしまったこと本当に後悔してる。これからはあなたと一緒にいる時間をもっと大切にする、約束するわ。だから土曜日いかないで…

そんな青春ドラマが繰り広げられるのが「土曜日」だが、そんな熱い我々の思いなど、土曜日は一顧だにしない。

しかし、我々にはまだ「日曜日」がある。その一点が我々の心を支えていくれている。

日曜日

「日曜日」も「土曜日」と同じ気持ちをほうふつとさせる。

いや、「日曜日」の次は「月曜日」だから、「土曜日」よりも思いはより切実かもしれない。

「これがほんとに最後。だから限りある日曜日との時間、本当に大切にしたいんだ。嘘じゃないさ。本当だ。もう二度と日曜日を無駄にしたくないんだ」

そう決意する日である。

しかし、日曜日が我々に抱かせる思いはそれだけではない。

日曜日は、我々労働者に、「明日はもうないよ」ということを、サザエさんの音楽とともに、そこはかとなく伝えてくる。

もちろんはっきりとは言わない。でも、俺と日曜日の仲だ。そんなことは言わないでもわかっている。

日曜日は、俺と離れることをどう思っているのだろうか。おそらく、なんとも思っていないのだろう。

結局、いつも日曜日との時間が終わるのを悲しむのは俺だけなのだ。

どれだけいかないでくれと頼んでも、どれだけ待ってくれと頼んでも、日曜日は24時間たつと、必ず去っていく。日曜日を捕まえようとしても、いつも俺の手をすり抜けていく。

そして、日曜日との時間が終わると、残された俺は「日曜日は本当に存在したのだろうか?」という気持ちに駆られる。

日曜日との時間は、まるで夢のようなひとときに感じられて、「本当に日曜日は俺と一緒にいたのか?」そんな思いだけが俺の胸に必ず残る。

その不安と孤独に耐えられそうもない。酒や薬、リストカットをして一時的に逃避したとしても、決して消えることはない、不安と孤独。

そうして絶望に打ちひしがれ始める午前零時頃。

そんなとき、“奴”が顔を出すのだ。

そう、月曜日だ。go home !!!!

日曜日を終わらせたお前を俺は生涯許しはしない。絶対に、絶対に許さない。俺の手から日曜日を奪ったことを。

俺がどれだけ日曜日と一緒にいたかったか、お前にわかるか?

俺がどれだけ日曜日を愛しているか、お前にわかるか?

俺がどんな思いで日曜日とさよならしたのか、お前にわかるか?

なんかいえよ月曜日!!!!!

……

…………

いや、わかっていたとしても、俺はお前を絶対に許さない。許すことはできない。

月曜日。俺はとにかくお前が大嫌いだ。

でも本当はわかっているんだ、月曜日お前が本当に悪いわけじゃないってこと。仕事が始まる日が悪いんだってこと。

それでも俺は月曜日、お前を憎まずにはいられない。ごめんな。

雑記

Posted by ベリアル