「トイ・ストーリー4」感想と考察~ウッディについて
先日「トイ・ストーリー4」をみてきました。特段、トイ・ストーリーファンというわけではなかったのですが、「トイ・ストーリー4」をみて思うところがあったので、感想と考察を書きたいと思います。
感想と考察を書くにあたって、焦点をあてるのは「ウッディ」という存在です。
ウッディは、トイ・ストーリー3までは私のなかではよくわからないキャラクターだったのですが、トイ・ストーリー4のウッディをみてようやくウッディの心境を理解できたように思います。
ウッディは、ディズニー映画に似合わないくらい、非常に暗い面をもつ主人公なのだと思います。
以下、具体的に考察に入ります。
※ネタバレをおおいに含みますのでその点ご了承ください。
トイ・ストーリー4のあらすじ
具体的に考察に入る前になんとなくのあらすじをまとめます。
物語の始まりは、ウッディがボニー・アンダーソンという5歳の女の子のおもちゃになってから。(トイ・ストーリー3の続きから)
ウッディは、ボニーに遊んでもらいたいけれど、なかなか遊び相手として選んでもらえない。
そんなとき、ボニーが幼稚園にいるときに自分で作ったフォーキーというゴミでできたおもちゃがウッディ達の仲間になります。
ボニーは幼稚園では不安な様子でしたが、フォーキーができたことによって笑顔で幼稚園にいられるようになりました。
しかし、フォーキーはなにしろ「ゴミ」でできているので、ゴミ箱に入って捨てられようとするんです。
フォーキーがゴミとして捨てられてしまうと、ボニーはまた不安になって悲しんでしまう。
ウッディはボニーのために、フォーキーが捨てられないように(自分でゴミ箱に入らないように)寝る間も惜しんで監視をし、ボニーの笑顔を守ろうとします。
自分はこういう形でしかボニーを笑顔にできないから…と。
しかし、ボニーに献身的に尽くすウッディには「自分で遊んでほしい」という思いも強くあります…。
トイ・ストーリー1のウッディ
トイ・ストーリー1のウッディは、新しいおもちゃとしてやってきたバズに異常に嫉妬し、バズを仲間から追い出そうとしていました。
なぜウッディは、バズを追い出そうとしたのか?
それは、ウッディはアンディのなかで自分が一番でなければ耐えられなかったのです。というか、アンディのなかで一番のおもちゃでないと、自分自身の存在を認められなかったのです。
こういったウッディの根底にあるものはなにか?
それは「自己肯定感の低さ」 ではないかというのが私の考えです。
ウッディはアンディに誰よりも好かれていなければ、自分が存在する意味を見いだせない=自己肯定感が低かったんじゃないかと思われます。だから、ものすごくアンディの一番であることに執着する。
ウッディの、そういった自己肯定感の低さが、バズを仲間外れにしようとするという行動に走らせたのではないかと思うのです。
余談ですが、ウッディ以外のおもちゃは、遊んでほしいとは思っているものの、アンディの一番であることにほとんど執着していません。それはバズも同様です。
ウッディだけが、アンディの一番であることに執着し続けるのです。
トイ・ストーリー2のウッディ
トイ・ストーリー2のウッディについても、「自己肯定感の低さ」があらわになっています。
トイ・ストーリー2のウッディは、自分がアンティークの価値あるおもちゃだと知り、アンディのもとを離れ、博物館で価値あるアンティークとして飾られることを選ぼうとします。
これはもちろん、自分がいないと一生箱のなかで暮らすことになってしまうジェシーたちを思っての行動でもあるかもしれません。
しかし、それ以上に、自分の存在価値がほしいという思いからくる行動でもあったんじゃないかと思うんです。
トイ・ストーリー2時点でのウッディは、バズを仲間はずれにし、蹴落とす行為が間違っていることは頭では理解しているものの、それでもバズにアンディの一番をとられてしまうという恐怖感をぬぐえていなかったんじゃないかと。
そんなとき、自分におもちゃとして遊ばれる以外の、アンティークとしての存在価値を見いだしてくれる人たちがいることを知った。
「アンディの一番」の地位をバズに脅かされている状態のウッディとしては、表向きはバズとうまくやっているものの、心の奥では折り合いをつけられていなかった。そんなウッディの心の奥底には、ずーっと一番でなくなる=自分の存在価値かなくなることへの恐怖心があったんじゃないかと。
だから、ウッディは、自分におもちゃとして遊ばれる以外の存在価値があると知り、そちらに飛び付こうとした、と考えるとウッディの一見意味不明な行動に一貫性が見いだせそうです。
トイ・ストーリー3のウッディ
ウッディたちは、ゴミ回集車に乗って無事アンディの家へと帰還し、ウッディは大学行きの段ボールに、バズやジェシーたちは屋根裏部屋行きの段ボールに入る。だが、ウッディは仲間たちと共にボニーの持ち物になることが一番の方法だと考え、ボニーの家の住所を書いた付箋を屋根裏部屋行きの段ボールに貼り付けると、自分もその中に入る。付箋を見たアンディは決意しボニーの家を訪ね、彼女に自分の宝物であるおもちゃたちを一つ一つ紹介しながら譲ると、ボニーと共に久々におもちゃたちと遊ぶ。
ウィキペディアより引用
トイ・ストーリー3が私のなかでうろ覚えのためウィキペディアを引用しました。
トイ・ストーリー3のウッディは、少し複雑です。
ウッディの大好きなアンディはすでに大学生になってしまうため、もうおもちゃで遊ぶことはなくなりました。
しかし、アンディにとってもウッディは特別であったため、ウッディだけは大学につれていこうとします。一方でそれ以外のおもちゃたちは、屋根裏部屋へ片付けられようとしてしまいます。
ウィキペディアの引用にもあるように、最終的にウッディはアンディのもとをはなれ、ボニーという少女のもとへ行くことを決意します。
なぜウッディはこのような行動をしたのでしょうか?ウッディはアンディの一番であることにあれほど執着していたのに。そして、自分だけはアンディにつれていってもらえるところだったのに。
これには、いくつかの心理があると思っていますが、一番大きな要因は、ウッディ自身が、おもちゃとして遊ばれない痛みや悲しみ、恐怖を誰よりも知っていたからなんじゃないかと思うんです。
バズを含めたその他のおもちゃたちが、屋根裏部屋にしまわれるということによって、どれほどの悲しみと苦しみを負うのか?
誰よりもおもちゃとしての存在価値にとらわれていたウッディだからこそ、彼らの悲しみや苦しみが理解でき、彼らにそういう思いをさせたくないのだと思ったんじゃないでしょうか。
トイ・ストーリー3でのウッディは、トイ・ストーリー1と2のウッディとはちょっと違っていて(成長していて)、今までは自分の心の痛みにしか目がいっていなかったのが、他人の痛みについても目がいくようになったんじゃないかと思います。
だから、「一人でアンディのもとへ」から「みんなでボニーのもとへ」という選択をしたんじゃないでしょうか。(もちろん、アンディのもとにいっても、もうおもちゃとしては遊んでもらえないだろうといった思いもあったとは思いますが。)
こう考えると、トイ・ストーリー4のウッディの最後の選択にも納得がいきます。
トイ・ストーリー4のウッディ
トイ・ストーリー4のウッディは、ボニーのもとへきたものの、ボニーにはあまり遊んでもらえない毎日を送ります。
やはり、おもちゃとして遊んでほしいという思いがあるため、仲間には大丈夫だといいつつも、どこか苦しげです。
でもトイ・ストーリー4のウッディは、おもちゃとして一番になることを追い求める空しさや苦しみを知っています。だから、トイ・ストーリー1のように、特定のおもちゃに嫉妬するといった行動はもはや起こしません。
だからといって、ウッディの自己肯定感がみたされたわけではないんです。
自分ともっと遊んでほしい
自分で遊んで笑顔になってほしい
そういった葛藤も抱えながら、ウッディはボニーのおもちゃとして日々を送っています。
ウッディには、トイ・ストーリー4になってもなお「こどもを一番笑顔にする存在は自分でありたい」という思いがあるのです。
そんなとき、大好きなボニーの笑顔をなくす出来事(幼稚園に通うこと)が起きます。しかし、ボニーは、自分でフォーキーというおもちゃをつくりだし、笑顔を取り戻します。
どこにいってもフォーキーは?フォーキーはどこ?でフォーキーなくしてボニーの笑顔は成り立たないくらいです。
そんなボニーをみて、「ウッディはボニーを一番笑顔にできるのはやはり自分ではなくフォーキーなのだ」ということを思い知ります。
それでも、トイ・ストーリー4の少し成長?変化?したウッディは、「おもちゃとしてボニーを笑顔にしてあげることはできない。そんな自分にいまできることはなんだろう?」と考えました。そして、「フォーキーを守る。フォーキーをボニーのそばにいさせる。それがボニーの笑顔のためなんだ」という結論に至った、というか至らざるを得なかったんだと思います。ウッディは、そういって自分を納得させるしかなかったんです。
この結論は、確かにウッディにいまできることと言えばそれが現実的な答えなのですが、やはり「おもちゃとしてボニーの笑顔に貢献したい」「自分がボニーを笑顔にしたい」ウッディにとっては、苦しみを伴います。
事実、トイ・ストーリー4の中でも、ウッディは所々暗い顔・疲れた顔をみせます。
自由に生きるボーとの再会
そんな状況で、ウッディは、ボー(ウッディの元恋人)と再会します。
ウッディの記憶の中でのボーは、優雅できれいなお姫様でした。
しかし、再会した彼女は違います。野良のおもちゃとして、「おもちゃとしてこどもに遊ばれる」以外の選択をして、強く生きています。
ウッディは、そんな彼女の選択に対して、最初は「いやいやおもちゃとして遊ばれたほうが幸せだ」という考えが優勢でした。事実、物語の終盤までなんとかボニーのもとに戻ろうとしています。
それが最後は、ボニーのもとを離れ、おもちゃとして生きる以外の道を選びます。
なぜこの選択をしたのか?
これには、やはりボーの影響が大きいでしょう。(単なる恋人だからというわけではありません)
ボーは、おもちゃとして生きる喜びも、おもちゃとして遊ばれなくなる悲しみも、アンティークショップでずーっとこどもを待ち続けることの虚しさも、身をもって知っています。
ボーは、そんな悲しみ・苦しみを乗り越えて、いまを生きることにし、おもちゃとして遊ばれる以外の道を選びました。
ずーっとおもちゃとして遊ばれる以外の選択肢にとらわれていたウッディにとっては、ボーの存在はある意味革命的だったのではないでしょうか。
ウッディに、「そうか、こんな選択肢もあるんだ。」と、見せてくれたのがボーなのです。
ウッディとギャビーギャビー
ウッディのラストの選択に、強く影響を与えているものの一人として、ギャビーギャビーがあげられます。
ギャビーギャビーは、生まれつきの不良品だったため、一度もおもちゃとして遊ばれたことがありません。しかし、「一度でいいからおもちゃとして遊ばれたい」という思いが強く募った結果、ウッディを襲い、ウッディのボイスボックスを奪おうとします。(それがあればギャビーギャビーは不良品じゃなくなるため)
ウッディは、ギャビーギャビーが必死におもちゃとしての存在価値を取り戻そうとする姿をみて、何を思ったか?
ウッディは「おもちゃとして遊ばれることに執着することの虚しさ」を痛感したのではないでしょうか。
ウッディはギャビーギャビーを通して、自分の姿をまざまざと振り返ることになったのです。
そして、やはりラストの選択に至るわけです。
ウッディとアンディ
トイ・ストーリー4のウッディは、ボニーの家にいってからもまだアンディのことをひきずっているようです。(フォーキーに指摘される始末)
そんなにひきずるなら、自分だけ連れていってもらえばいいやんけ!!と思わなくもないですが、トイ・ストーリー3のウッディはその選択をしなかった。
にもかかわらず、ひきずっている。
ええわかります。
この選択(=みんなでボニーとくらす)が正しいとは思っているけれども、自分のなかでアンディとの日々を忘れ去ることができない、気持ちの整理がつかない、ということですね。
ウッディにとって、アンディは特別だったのです。アンディにとってのウッディがそうであったように。
この思いもやはり、ラストのウッディの選択に影響を与えていると思います。
というのも、ウッディはアンディといたおかげで、おもちゃとして遊ばれることのこの上ない幸福を知っているんです。だから、最初はその思いをもう一度という思いも先行して、バズを追い出そうとしたりという行動に走りもするんですが、この思いがあるからこそ、これからの人生を、「他のおもちゃにおもちゃとして遊ばれる幸せ」を与える活動に費やすことに決めたんじゃないかと思うんです。
まとめ
これまでダラダラとつづってきましたが、時系列でまとめるとこんな感じです。
トイ・ストーリー1
自己肯定感が低く、承認欲求の強いウッディは、おもちゃとして自分が一番でいたいため、バズに嫉妬し、蹴落とそうとする
トイ・ストーリー2
他人を蹴落とすことの間違いには気づいたものの、相変わらず自己肯定感の低いウッディは、アンティークとして価値あると言われ、そちらに飛び付こうとする
トイ・ストーリー3
これまでは、自分のことにしか目がいっていなかったウッディが、アンディの進学に伴い、他のおもちゃが、おもちゃとして遊ばれないことの悲しみを仲間にさせたくないという意識がめばえる
トイ・ストーリー4
自分の選択が間違っていたとは思わないが、苦しい思いをしつづける。
ボーやギャビーギャビー、フォーキーとであい、「おもちゃとしての存在価値」に執着することをやめる決意をし、他のおもちゃのための活動に第二の人生を費やすことにする
おわりに
こうしてトイ・ストーリーを俯瞰してみると、やはり改めてウッディの物語だな、と思います。
表のテーマとしては、「こどもとおもちゃ」といういかにもディズニーらしいテーマがありますが、裏のテーマとしては、「自己肯定感」や「承認欲求」という、人間の心理や生き方に関する深いテーマがあります。(製作者が意図しているかはしりませんが)
願わくば、トイ・ストーリー4あとのウッディをみてみたいものです。
自己肯定感の低さ、承認欲求、自分の存在意義といった悩みを抱えながらも、強く生きていくことを選んだウッディの姿は、それはこどもならず、現代を生きる大人たちにも勇気を与えるんじゃないかと思います。
というわけで、ディズニーさん、トイ・ストーリー5をよろしくお願いいたします。笑
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